「おたねにんじん」栽培 清水琢さん(喜多方市)

第32回
〜江戸時代から続く「おたねにんじん」を守り、会津を漢方の里に 〜

「おたねにんじん」栽培 清水琢さん(喜多方市)

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江戸時代から300年近く、会津の地で育てられてきたという「おたねにんじん」。種を蒔いてから収穫まで4~5年かかるなど栽培の難しさもあっ て、全国有数の産地だった会津でも、しだいに生産者が減ってしまったと言います。そんななか、「おたねにんじん」を途絶えさせるわけにはいかないと、奮闘 を続けているのが清水さん。そのこだわり、伺ってきました!

 

Q. そもそも「おたねにんじん」とは、どんな作物でしょうか?

A. 「おたねにんじん」は、ウコギ科の多年草で、正式名称はオタネニンジンと言います。別名を朝鮮人蔘、高麗人蔘、単に人蔘と呼ばれることもあります。ふだん食卓に並ぶ一般的なニンジンはセリ科の植物で、オタネニンジンとは全くの別物なんですよ。
会津藩では、江戸幕府から種を賜り栽培を始め、当時飢饉で苦しんでいた藩の財政を立て直す一助となったそうです。それから現在まで300年 間、お殿様の種の人蔘は、会津の生産者が、大切に代々つないできました。現在では漢方の原料として注目されているだけではなく、普段の食事に取り入れ、健 康維持に役立てている方が増えています。

 

Q. 清水さんが「おたねにんじん」の生産を始めたきっかけは何でしたか?

A. きっかけは、平成24年に会津人蔘農協の事業を清水薬草が継承したことです。僕はそこでおたねにんじんの生産者を増やす仕事を任せられたんですが、実は自分自身、まったく栽培したことが無かったんです。
事業を継承したときは不安でした。会津からおたねにんじんが無くなってしまうかもしれない。それをなんとかくい止めたいが、どうしたら良いか 分からない。加工施設はなんとか残したが、生産者が増えなければ、産地壊滅という結果は目に見えている。農協にできなかったことを、ウチみたいな小さな会 社がどうにかできるものなのか?とにかく思いつくことを一生懸命やるしかない。必死でした。
その頃僕は、新たにおたねにんじんの栽培を始めてくれる人のためにマニュアルを作ろうとしていました。既存の生産者を片っ端から訪問して周り、栽培で失敗した経験や気を付けるポイントなどを聞き取り、まとめる作業を始めました。

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皆さん快く応じて下さったんですが、農業未経験の私では理解出来ない話も多く、ある生産者に「お前にいくら話したところで無駄 だ」と怒られたんです。悔しかったですが、言われた通りだと思い、その日の夜に社長(父)と相談し、自分でおたねにんじんの栽培を始めることを決心したん です。あっさり社長から「やるか」と言われた時、やっぱり私はこの人の息子だな。と妙に腑に落ちたのが記憶に残っています。

 

Q. 美味しいおたねにんじんを作るための、自分なりの“工夫“や“ひけつ”はありますか?

A. 僕はまだ農業を始めて3年目の初心者です。一方、産地の最盛期である20年前に現役で頑張ってきた人たちは今70代。まだまだ元気な大先輩から教えを乞 い、なるべく忠実に実施することを心掛けています。特に土づくりに関しては、稲わらやもみ殻をすき込んで、フワフワの土を作るよう気を使っています。

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Q. うちのおたねにんじんは他とはココが違う!というポイントを是非教えて下さい。

A. やはり、会津の地で300年種を繋いでいるという歴史や、過去におたねにんじんに関わった方々の情熱、世界市場で高い評価を得ていたという誇りです。
ただ、種を蒔いてから収穫まで4~5年かかるので、天候や災害のリスクを5年分背負わなければならないことや、日覆の資材を投資しなければな らないことは他の作物より厳しいかもしれません。それでも、食べる方々の健康に役立てるという嬉しさ、楽しさを味わえるのはおたねにんじん栽培の魅力だと 思います。

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Q. オススメの食べ方やレシピを教えて下さい。
A. 僕はおたねにんじんの粉末を毎朝、ご飯にまぶして食べています。人蔘の香りをかいだだけでニヤッと喜んでしまうのは私だけかもしれませんが、 無いと淋しいです。他には、特別な日の鍋に一本丸々入れて食べることもありますよ。初めて食べる人の反応を見るのが楽しみなんです。

 

Q. 清水さんにとって、農業とは、毎日のなかでどんな存在ですか?

A. 子供のころから普段食べていた米や野菜が本当に美味しい。高校卒業後に関東で暮らして改めて気づいた「ふくしまの食」の美味しさ。喜多方に戻ってきてから出会った農業者の情熱に触れて、さらに美味しく感じるようになりました。
一方でやはり大変なのは放射能の問題です。2013年12月、国からの通知で、医薬品向けの生薬は20Bq/kgの下限値で検出しないことが 出荷条件となりました。生活者一人ひとりからの風評被害も深刻ですが、メーカー(企業)からの風評被害は、よりシビアです。もちろん弊社では、放射能検査 を徹底していますが、震災以降から注文が急に来なくなった得意先があるのは事実。引き続き放射能検査を徹底することと、安全を確保した上での正確な情報発 信をしていきたいと思っています。

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Q. 「ふくごはん」プロジェクトは、震災と原発事故をきっかけに、改めて福島の食の魅力を多くの伝えたいと始まりました。清水さんの毎日の生活や、特に農業に関わることで、震災や原発事故の前後で、どんな変化がありましたか。

A. 震災のあった2011年は、清水薬草にとって過去最高の業績となる予定の年でした。しかし原発事故の放射能汚染により、山野でとれる生薬が出荷できず大打撃を受けました。現在も震災前の取扱量まで復旧していません。
2015年2月に3人目の子供が生まれ、「毎日食べるものが美味しくて安全なのは、農業に携わっている方々の努力のおかげだ」ということを しっかり子供に伝えていきたいと、今までよりも一層強く思うようになりました。また、私自身も安全で美味しい作物を、心を込めて育てていこうと思います。

 

Q. 震災の後で、何か畑仕事や農業に関わることで、思い出深い出来事はありましたか?

A. 震災以前まで、長年お付き合いのあった個人の方から、ぱったりと注文が来なくなってしまいました。放射能検査は徹底していますし、安全と品質 を確保したものしか出荷していないのですが、受け止め方は人それぞれなので致し方ないことかもしれません。風評被害は現在進行形で深刻です。
一方で、震災の後、会津地域内にとどまらず、県内、県外、様々な地域で頑張っている生産者との交流が生まれました。また「東北食べる通信」 を通して、おたねにんじんを食べて下さった方々と直接交流する中で、私自身で抱えていた不安も解消することが出来ました。安全で美味しい食べものを作るひ とと、食べるひとが、お互いを尊重し、助け合っていきたいと思います。

Q. 農業を続けていくうえでの、夢はありますか?

A. 僕は会津を漢方の里にしたいと思っています。山里ではヨモギやドクダミなどの薬草を採取するばぁちゃんが増え、キワダ、メグスリノキな どの薬木を採取する林業者が活気づく。自然の恩恵を受けるには、選別や加工も必要です。老人介護施設や障害者施設と協力して、ごみ取り作業や、選別作業の 仕事を創りたい・・・。地域のみんなで作ったものを、観光施設や飲食店だけでなく、各家庭の食事に登場するようにしたい。会津を「漢方の里」にするのが、 一生をかけて成し遂げたい大きな夢です。

 

Q. 最後に、おたねにんじんを食べてくれる人たち、このインタビューを読んで下さる皆さんへの一言をお願いします!

A. 会津のおたねにんじんは300年の歴史がありますが、今現在は壊滅の危機です。なんとか絶滅しないように会津で仲間を作って、生産量を 復活するために一生懸命頑張ります。まだ各ご家庭では馴染みのあまりない食材ですが、心を込めて生産していくので、末永くご愛用ください。また、おたねに んじんの産地復活を応援して頂けたら、とても嬉しいです。読んで下さりありがとうございました。

< おたねにんじんを購入できる場所 >

・会津若松市の御薬園や、道の駅で販売しています。また、喜多方市の「清水薬草店」では店頭販売はもちろん、お電話かFAXで注文頂ければ全国へ発送致します。
電話番号0241-22-0533 FAX 0241-22-2997。
※現在、インターネットでの販売はしておりません。