第19回 〜福島を“まるごと”売り込む。 そして福島をもっと“笑顔”にする!」〜 「えがお福島」なんでも担当 金子幸江さん
福島の地で育まれた野菜や果物の魅力、そしてそこに込められた農家さんの想いに至るまで・・・生産者と消費者との橋渡し役となって出 会いの場を作り、福島を“まるごと”売り込んで、福島をもっと“笑顔”にする! メンバーの願いがそのまま名前になった「えがお福島」さん。仕入れ・販売・商品企画・経理などなど、ありとあらゆる仕事に関わっている“なんでも担当”の 金子さんにお話を伺います。
Q. 「えがお福島」ではどのような活動をしているのですか?
A. 「えがお福島」は震災後の2011年6月に設立された一般社団法人で、福島県産の農作物の安全、安心、美味しさをアピールし、農家さ んと一緒に商品の開発や新たな販路を開拓したり、販売を代行したりしています。 そのなかでも私は県内の一部地域でしか作られていない 伝統野菜やこだわりをもった美味しいものを探して全国の皆さまに届けるのが仕事です。
これまでに東京 都や神奈川県、京都府や広島県で開催されたマルシェ(青空市場)に参加し、福島県産の野菜や6次化商品などを持っていって直接販売したり、「えがお福島」 のホームページにあるネット通販などを通じたりして、皆さんに福島県産の新鮮な野菜や果物、特産物をお届けしています。
そのほかにも、野菜を美味しく食べ てもらう場として、郡山市と都内で定期的に料理教室を開催しています。
Q. この仕事を始めたのは、いつからですか?きっかけは何でしたか?
A. 「えがお福島」には設立当初から携わっているので、もう少しで2年になります。以前は県内の民間の給食会社で働いていて、そこで食育や行事食といった食事 の提案をするのが仕事でした。
ですが震災後、たとえ放射性物質が検出されていなくてもお客さんの意向によって、地元の野菜やお米、果物が使えないことが増 え、近くに新鮮でおいしいものがある事を知っているのに、遠くから仕入れなければいけない、そのことに違和感を感じていたところに現在の会社の代表である 佐藤と出会ったんです。
わずかな力ですが転職によって、農家さんの生産を守り、私が子どもの頃に経験したような、もぎたてで新鮮な味の記憶を未来の子ども たちにも残したいと思ったからです。
Q. おいしい野菜や果物を届けるためにどのようなことをしていますか?
A. まずは美味しいものを作ってくださる農家さんに直接出会うことから始まります。そのために県内さまざまな所に行きますが、人からの紹介で出会うことがほと んどです。美味しいものを作っている人は美味しいものを知っている。結局は人とのつながりに助けられています。
Q. 金子さんにとって農業とは、毎日でどんな存在だと思いますか?
A. 学生時代に東京に住んでいたころ、実家から送られてくる野菜を「命の野菜」と呼んでいました。スーパーでは手に入れる事が出来ない水々しさや生命力があ り、いつもそれらから元気をもらっていました。私にとってそれらの野菜は命を繋ぐものであり、農業とはそれを作るものだと思います。
Q. 「福島の食」と聞いて、どんなことが頭に浮かびますか?
A. 新鮮、豊富、おいしい! 生産量が一番じゃないけれど、野菜も果物もいろんなものが豊富に実る。 福島県は広いので気候もさまざまですし、作物に合った豊な土地がどこかしらにあって実をつけている。
そんなオールマーティで柔軟な性質と、それだけじゃなくて、”美味しさ”という実力も持っていると思います。
Q. 「ふくごはん」プロジェクトは、震災と原発事故をきっかけに、改めて福島の食の魅力を伝えたいと始まりました。金子さんの毎日の生活や、特に農業に関わる ことで、震災や原発事故のあと、大きな変化はありましたか?
A. 仕事が変わったのはお伝えしましたが、実家は全壊だったので住むところも変わりました。また小さな子どもがいる友人も多かったので、 彼女達も引っ越してしまったりして、寂しく思うこともありました。
おそらく長い時間が必要だと思いますが、いまはただ、また近所に子どもたちの声が響き、何も考えることなく 食事がとれるあたり前の日常になればいいなと思っています。
Q. 震災後、「えがお福島」の活動に関して、特に思い出深い出来事はありましたか?
A. 震災後に行った販売会などで、一部の方から「福島の農業は一切やめろ」という声も聞かれました。しかし、私は決してそうさせてはいけないと思ってい ます。地震の後、流通がストップし、人々による買いだめも起きたために、福島県内のスーパーやコンビニからは一斉に商品がなくなりました。お金を持ってい ても水や食糧が買えないという状況で、不安な日々を過ごしました。 しかしそんな時でも、農家さんの元には米も野菜もたっぷりあり、善意で分けていただくことが出来ました。多くの方が助けられたと思います。そして命の根源 である食の大切さを改めて実感し、地域から農業を失くしてしまうのは本当に怖いことだと思いました。
また日本には四季があり、作物の収穫時期も南から北に移り変わっていきますが、福島県と言うのはその中核、つなぎ目の役割をはたしています。 福島県は震災前、関東地域の約1/4の食糧の生産を担ってきたと聞いています。震災後はそれが一気 に無くなり、他県での生産が間に合わない結果、一時期生鮮品やお米の値上がりに繋がりました。震災から1年半がたった収穫期のころ、市場関係者から『やは り 福島の物は質が良い』『日本にはなくてはならない地域ではないか』という声が聞かれ始め、農家さんと共に自信を取り戻したという経験があります。
Q. 最後に、このページを読んでくださる皆さんに、一言をお願いします。
A. 日本と言えば、「東京・京都・福島!」と世界でも知名度が抜群になりました。良くも悪くも注目もされ、関心が高い人も多いはず。そんないまだからこそ、良 いものを作っていきましょう。良いものだから選ばれる「えがお福島の商品」でありたいと思っています。いつも応援して下さっている全国のみなさん、ありが とうございます。
<購入できる場所、食べることの出来る場所>
<えがお福島のホームページ>
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