第20回〜 牛は家族の一員 〜 小豆畑牧場 代表 小豆畑正一さん(石川町)
第20回〜 牛は家族の一員 〜
小豆畑牧場 代表 小豆畑正一さん(石川町)
どんな酪農家も声をそろえて、牛のことを“家族”と呼ぶ。酪農家たちにとって牛は単に育てるだけの家畜ではなく、ともに毎日を 過ごし、ともに育ち、そして自分たちの毎日を心身ともに支えてくれる大事な存在なのだ。 原発事故によって酪農業界が過去に例がないほどの苦難に見舞われても、彼らの絆、そして同業の絆は決してそれに負けはしなかった。その一人、小豆畑さんのお話を伺ってきました。
Q. 小豆畑さんが酪農を始めたのはいつですか。また、きっかけは何でしたか?
A. 僕が酪農を始めたのは昭和52年。父親が和牛を飼っていたから、子どもの頃からずーっと牛と一緒に育ってきて、牛が大好きだった。だ から、自分の牧場をつくることが夢だったんだ。自分で貯金を貯めて自腹で牛を2頭買って、高校卒業と同時にすぐに牧場を始めた。いまでこそ100頭いるけ れど、最初はたった2頭のホルスタインという種類の乳牛から始めたんだよ。
Q. 美味しい牛乳をつくるための小豆畑さんなりの“工夫”や“ひけつ”はありますか?
A. 当たり前のことだけど、美味しい牛乳をつくるために一番大事なのは、牛が常に健康であること。そのために、牛がストレスを感じないようにいろいろ気を使っ ているんだ。例えば、夏場は扇風機で涼しくしたり、衛生面に配慮してマメに掃除したり、腹いっぱいエサをやったり・・・。親が子どもの世話をするように大 事に接しているよ。僕は牛に生活を支えてもらっている身だから、その感謝の思いと愛情を込めて大切にしなくちゃいけないと思ってるんだ。
Q. 「小豆畑牧場」への熱意・思い入れを聞かせてください。
A. 自分で好きで始めた酪農だから、責任を持って最後までやり遂げたいと思っているよ。このあいだ、牛の体型や歩き方などを競う福島県ホルスタインショー(平 成25年4月20日)で、うちの乳牛がグランドチャンピオンになったんだけど、あの時は本当に嬉しかった。大事に育てたうちの乳牛の美しさ、特に乳房の美 しさが認められたんだ。大したことはやってないけど、自分の子どもたちに「酪農を頑張るお父さん」の姿を記憶に残せたらいいなと思うんだ。子どもたちに継 いでもらうってことよりも、自分が「小豆畑牧場」と最初から最後までちゃんと向き合っていきていきたいって感じだね。
Q. 小豆畑さんにとって酪農とは毎日の中でどんな存在ですか?
A. 「喜び」だね。僕は、牛がいるからこそ、地元である石川町で、おだやかで平凡な生活を過ごすことができている。この平凡な生活が僕にとっては喜びそのもの だな。
Q. 「ふくしまの食」と聞いて、どんなことが頭に浮かびますか?
A. 「安全」かな。乳牛も、野菜も、米も、厳重に、徹底して検査をしているから、福島の食は安全だよ。
Q. 小豆畑さんの毎日の生活や特に酪農に関わることで、震災や原発事故のあと大きな 変化はありましたか?
A. 何といっても、多くの酪農仲間が廃業に追い込まれたことが残念で仕方だった。僕の牧場には双葉郡や飯舘村の仲間から引き取った牛もい るよ。牛は敏感な生き物だから、震災直後は受胎率や搾乳量も半分以下に減ったんだ。人も牛も精神的にまいってたんだよな。
Q. 震災後、特に思い出深い出来事はありますか?
A. 原発事故で避難してきた牛が、日本ホルスタイン協会の審査員による牛群審査で、国内2位の記録を取ったことだね! 協会の審査員が年 2回、全国をまわって国内の牛を審査するものなんだけど、その牛はさまざまな基準をクリアして、体型審査で100点満点中94点だったんだ。福島県浜通り にいた牛で、僕が一時引き取っていたんだけど、今は元の飼い主のところに戻って本宮市にいるよ。牛も頑張ってるんだなぁと思うと、自分も頑張らなきゃなぁ と思ったね。
Q. 牛乳を飲んでくれる人たちへ一言メッセージをお願いします!
A. 福島の牛乳の味は、全国でもナンバーワンの美味しさだと言われています。僕自身もそれだけの熱意と責任を持って酪農を営んでいるので、安心して飲ん でください。ちなみにうちの牛乳はクセが無くて飲みやすいですよ!
<購入できる場所、食べることの出来る場所>
<小豆畑さんの牛乳が飲めるところ>
小豆畑さんの牛乳は、福島県郡山市の「酪王牛乳」さんで使用されています。
酪王乳業株式会社 http://www.rakuou-milk.co.jp/